あなたが寝てる間に

娘が寝ている間にちょこちょこと記す、みちるの日記・ひとりごとです。

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2010.08.15 Sun 22:36
突然ですが、わたしは母方のじいちゃんとばあちゃんが大好きで。
文句なしで「理想の夫婦ナンバーワン」です。

80をとっくに越えて、二人で仲良く暮らしています。
ときどきどちらかが入院したりもするけど、日々の暮らしのことはすべて二人でこなします。
口数が少なくて耳が少し遠くなったじいちゃんは、意外とハイカラ(笑)なものが好き。
結婚当初東京にいる頃、よくfaxを送ってくれました。
写メールも送れます。ホームベーカリーでパンも焼きます。
末っ子でその名も末子というばあちゃんは、誰にでもハートオープン。
ひ孫たちもひいばあばの手にかかったらあっという間になついてしまう。
おしゃべりが大好きで、足は立たないけど口は立つが口癖。
じいちゃんのはげた頭をぴしっとたたいて突っ込みいれたりもします。


・・・

大好きな二人は、去年の六月末っ子を出産したときも病院へかけつけてくれました。
帝王切開でベッドにはりつけの私の手や頭をなでていっぱいほめてくれました。
私は二人にとって初孫で。
本当に小さい頃からすごくかわいがってもらったんです。

東京から松山に転勤になり、いっぱいあえるかと思っていたけど。
案外会いにいけなくて。
でもいてくれるのが当たり前の存在で。
末っ子がもう少し大きくなったら・・・とか長い休みに入ったら・・・とか会いに行くのはのばしのばしになっていました。
でも
8月にばあちゃんが入院。
入院してまもなく、歩行中に転倒してしまい、歩行を制限され紙おむつになり。
あっという間に、寝たきりになってしまいました。
足が立たないけど・・・が本当になってやっぱりばあちゃんはつらそうでした。
でも私が時々見舞いに行くと大歓迎して喜んでくれて。
じいちゃんは毎日、車で30分かけてお見舞いに通っていて。
やっぱり二人は、一緒じゃないとだめなんだなぁって思いました。

そんなばあちゃんも今年のお正月は、介護タクシーで初めて外出。
例年通り本家に集まって、いっぱい飲んで食べて楽しく過ごすことができて。
今は短時間しか外出できないけど。
春になって暖かくなったら、外泊したり・・・退院もできるかも!なんて。
みんなでわいわい楽しいお正月でした。
涙もろいばあちゃんはなきながらみんなに感謝したりわがままいったり。
じいちゃんはいつもばあちゃんの布団の傍に座ってにこにこ笑っていました。

物心がついてからずーっと続いているお正月の風景。
これが「ふるさと」というあの感じ。  



・・・

今年の8月13日。
その同じ本家の座敷に。
今年のお正月、みんなでワイワイ盛り上がった座敷に。
じいちゃんとばあちゃんの遺影が飾られていました。

二人の笑顔の遺影を見て、うそみたいで、じいちゃんもばあちゃんもいないなんて実感がわかなくて。

じいちゃんは2月でした。
正月元気そうだったじいちゃんは二十日後に肺炎で入院。
二回ほど癌の手術もしていたし、ばあちゃんの見舞いでかなり疲れているのだろうということでした。
母に「もう長くないから」といわれてかけつけたら
やっぱりじいちゃんは、よう来てくれたのうなんてニコニコ笑っていて。
「じいちゃんが死んだらすぐ来れるから、松山に帰れてよかったのう」なんて軽口をたたいて。
顔色はたしかに悪かったけど、とても「危篤の人」なんて思えなかった。
また来るって言って別れて、当然また会えると思っていたのに。
もう笑っているじいちゃんには会えなかった。
ほんの10日ほどの闘病で、じいちゃんは逝ってしまった。

その夜は号泣だった。
病院から介護タクシーでかえってきたばあちゃんは。
車椅子から降りられないからじいちゃんの手を握ることもままならなくて。
自分の足をバンバンたたきながら
「早く迎えに来て早く迎えに来て」と訴えていた。
「わがままな自分をいつも許してくれたやさしい人だったのに。」って泣いていた。
私はばあちゃんと一緒にいっぱい泣いた。

ばあちゃんはその後、通夜や告別式の行事には出なかった。
体力的なことはもちろん、ふたりの別れにおいて、そんな行事はもう必要なかったのかもしれない。

それからばあちゃんはもう、いつものばあちゃんではなくなったと私は思う。

口数が極端に減って、笑顔もあまりみせなくなった。
人が大好きで、いつも誰かといたいばあちゃん。
個室でひとりで横になって。どんなにさみしかったことか。
私は母に、もう病院から自宅に連れ戻してほしいと何度も頼んだ。
母は兄弟間の問題もあるし寝たきりのばあちゃんの介護をする自信がないというばかりだった。
だけどやっと母が決心してくれた。
7月、「自分がひきとりたい」と言い出して。
でももう遅かった。
その数日後急に容態が悪化したばあちゃんもまた、あっという間にじいちゃんのところに逝ってしまった。
じいちゃんが逝って、五ヶ月後だった。

最後に会ったばあちゃんは、呼吸が苦しそうで意識が朦朧としていて。
なのに私の顔を見たら私の名前を呼んでうれしそうに手を伸ばした。
そのとき久しぶりに、いつものばあちゃんに会えた気がしてうれしかった・・・。



・・・


残された私たちはつらいけど。
ふたりは一緒にお盆に帰ってこられてうれしいのかな。
いつも一緒だったから。
ふたりにとってはこれが幸せなのかな。

そう思うしかない・・・・よね。



・・・


じいちゃんの遺品の中に覚書のような日記のようなものがあったそうです。
そこにはおつきあいの記録などとともに、
家族や友人、近所の人からしてもらったことを書き記してあり
感謝の気持ちがいっぱいつまっていたとのこと。
母は「じいちゃんはいつもワシは何年前のことでも覚えとるんぞと笑っていたけど、このノートに全部書いてあったんだなぁって。感謝の気持ちだけが残されてるなんて感心した」と泣いていました。

じいちゃんは病床でも、「自分のところはいいから、ばあちゃんのところに行ってやってくれ」「ばあちゃんを頼む」といっていたとも聞いて。

じいちゃんはすごいなって思います。
最後に会った時だって、きっとめっちゃ苦しかったのににこにこ笑ってたんだもんなぁ。
私もそんな生き方できるかなぁ。



ばあちゃんは人が好きで。
「みーんなばあちゃんにやさしくしてくれるんよ」っていつも言っていました。
それでいて人をからかったりするのも好きで。
最期もいいおっさんである長男のおでこをたたいたり、次男の鼻をつまんだりして。
なんかおちゃめで憎めないかわいいばあちゃんなんです。

ばあちゃんは私のことが大好きなんです。
惜しみなくかくすこともなく愛情を注いでくれたんです。
幼いときどこか怪我をしたらばあちゃんの神通力で治してくれたし。
受験のときはひたすら神様に祈ってくれたし。
いつどんなときも、会いに行ったら無条件にめいいっぱい喜んで迎えてくれた。
私は母よりもばあちゃんに「学んだ生き方」が多いって思ってる。


・・・

じいちゃんばあちゃん。
今もまだ涙がとまりません。
大好きな大好きな二人にもうあえないなんて。
まだまだ信じられないよ。


わたしのじいちゃんとばあちゃん。
こんなに誇らしい人なんです。
長い話、聞いてくれてありがとう。
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ご冥福をお祈りします。

ちるりんはおじいちゃんおばあちゃんが大好きで、おじいちゃんおばあちゃんもちるりんが大好きで、周りの人も大好きで、素敵な人だったんだね。
とっても伝わったよ。

ここに書いてくれたことで、こんなに素敵な夫婦を知ることができて、ありがとう。
わたしも家族をいっぱい大事にしたいと思った。ありがとう。
From:るみ URL 2010.08.30. Mon 19:00 [Edit]
No title
聞いてくれてありがとう。


であったときからいつも。
るみさんはみんなの話を丁寧に聞いてくれて、コメントしてくれて。
ああ、話せて(書けて)よかったなぁ・・・って気持ちにさせてくれるんだよね。
大好きだぁっ!ありがとう!
From:みちる→るみさん URL 2010.09.06. Mon 12:36 [Edit]
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藤野みちる

  • Author:藤野みちる
  • 74ers
    子育て奮闘中のラバッパー

    家族:ヒナ(娘:16年1月生)ハル(娘:19年2月生)フウ(娘:21年6月生)と旦那さん 
    必要:ポルノグラフィティ
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